履修 | ワールドサッカー狂喜乱舞

履修

お久しぶりです


今日は「履修問題について」


長いので、履修問題に興味のある人だけ読んでください




高校の授業も大学のように、より自由な選択ができるような制度にすればよい


私は神奈川県立の高校に通っていた

どこぞの私立のような超進学校ではないが、神奈川の公立の中では進学校の部類に入る

3年になると皆、受験を意識し始める

理系だった私は日本史の授業をまともに受けたことがない

いつも寝ているか、数学や物理をやっていた

期末テストは資料を集め一夜漬けで乗り切っていた


皆そうだった

進学私立校の実力派教師の授業ならいざ知らず

そこらの公立校の授業なんて多くの学生はまともには聞いていない

内職に精を出すのだ

受験科目の勉強をする

数学の授業中に違う数学の問題集を解く

教師も分かっているが、気にも留めない

形だけの授業が展開されていく


3年後期の政経なんてひどいものだった

センター前日の授業には5人しか参加していなかった

しかし、それでも中には興味深く政経の授業に参加している学生もいる

大概、推薦で決まったやつだったりするのだが

多くの受験生のために政経の代わりに、英語の授業をやりたいという気持ちは分かるが

そういった人達の政経の授業へ参加する権利を奪うことはできないはずだ


受験科目として選択する学生が少ない科目を、なるべく2年までに履修させるという手もあるだろうが

より教室間の移動をフレキシブルさせ、自分の受けたい科目だけを履修できるようにすればよい

少子化の影響で教室も教師も余っていそうなものである

そういったより柔軟な体制を整えるのもわけない筈である


義務教育が終わった高校生に倫理や地理を強要するのはどうなのか

興味のない学生は授業にとって百害あって一利なしであるし

彼らにとっても有意義な時間の過ごし方ではない


履修すべき時間は変えずに選択科目を自由にすればよい

3年間、英語の授業だけ受ける学生がいてなにが問題なのであろうか

どーせ興味なく聞いて、わずかな知識だけ身につけるだけで膨大な時間を無駄にするだけである

それなら本人の意志で好きな英語に精を出してもらえばよい

高校生の彼らの意志を尊重し、責任は自分でとってもらえばよい


現実的に教室や教師配分上、大幅な変革は無理な話ではあるだろうが

日本史や政経など、通常の制度通りに行ったとしても

参加する学生がほとんどいない科目のことでごたごたなる現在の制度は問題である